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沖縄剛柔流空手

剛柔流空手道の沿革​​

琉球王朝時代の空手(当時は唐手と称した)は、その地域によって首里手系(泊手を含む)那覇手系に大別される。

 王朝時代に閉鎖的であったこれ等の技術も明治に入り一般に公開され、急速に普及することになった。

 ここで剛柔流流祖宮城長順先生の経歴を紹介するにあたって、その前に宮城先生の師東恩納寛量先生の経歴を紹介しなければならない。

 東恩納寛量(1853~1915)

​ 那覇手中興の祖と讃えられる東恩納先生は、若年の頃より武術を学び、那覇の町でその名を知らない者が無いほど有名であった。

 しかし先生はさらに研修を深めるため、明治8年(1875)22歳のとき拳法修行のため中国福建省に渡り、その武才に磨きをかけられた。

 帰国後は家業の回船業に専念されたが、福州における拳法修行の熟達の噂が次第に広まり、懇望により指導を行うことになった。

 東恩納先生は人格高潔で、常に子弟の精神教育に心がけられたので厳しい指導のもとに優秀な門下生が数多く集まり、広く尊敬を集められた。宮城長順先生が剛柔流流祖として活躍されたのも、東恩納先生の薫陶によるものである。 

 大正4年(1915)病没 行年63歳

 宮城長順先生(1888~1953)

 剛柔流流祖宮城長順先生は明治21年那覇市東町に出生し、14歳のとき当時那覇手の実力随一とうたわれた東恩納寛量先生に師事した。東恩納先生の厳しい指導のもとにめきめき頭角を現し、多くの門弟の中で力量・伎倆ともに抜群であった。

 東恩納先生の拳法修行の話を聞き、自分も福州に渡りたいと考え、師の許可を得て福州に渡り、各地を巡り研鑽に努めた。

 東恩納先生の没後宮城先生はますます空手の研究に没頭され、また宮城先生の実力と高潔な人格を慕って指導を懇望する者が多く、止むを得ず指導を引き受けるようになった。

 宮城先生はご自身の研究に基づき新しく体育的次元に立脚した合理的な修練体系を確立し、門下生の指導にあたられた。 

 さらに先生は要請に応えて警察、師範学校、那覇商業、関西大学、立命館大学、同志社大学などで指導され、また昭和14年(1939)にはハワイ各地で指導され、剛柔流空手道の普及発展に努力された。

 宮城先生が生涯を捧げられた空手道研究に関する文献や遺稿の殆どは戦火により焼失してしまったが、宮城先生の遺稿の一つである「琉球拳法唐手道沿革概要」に詳細を記載してあるのでぜひ読んでいただきたい。

 宮城先生はこのように空手道の普及発展に一身を捧げられたが、昭和28年(1953)65歳で急逝された。

 宮城長順先生は流名を唱えることに積極的ではなかった。

 門弟故新里仁安先生(1901~1945)が昭和5年(1930)明治神宮演武会に出場の際、関係者から流名問われて困ったことを宮城先生に報告したところ、先生は今後流名を聞かれたら「剛柔流」と答えなさいと言われた。

 これは福建少林拳白鶴門の伝書である武備誌の「拳法之大要八句」の中の「法剛柔呑吐」より引用されたものである。

​剛柔流空手道の特長​​

 剛柔流空手道はその技術を修得して向上するとともに心身の健全な育成を促すのに非常に優れた内容を持っている。

 流祖宮城長順先生が剛柔流空手道を近代体育をして見直し、現在言われている科学的トレーニングを含めた練習体系を昭和の初期に創り上げられた功績は偉大なものである。

 剛柔流の優れた特長は次のとおりである。

 

第一は精神面である。

厳しい稽古に打ち込むことで精神の集中力を向上させることができる。

自制心や節度も育成され、克己心の養成に役立つ。さらに動作に気持ちを集中させることで精神力を凝縮させ、集中エネルギーとして発する修練をすることができる。

第二は身体面である。

​宮城先生は早くから予備運動を採り入れ、全身の関節と筋肉の柔軟強化に努められた。

剛柔流の極意は基本形三戦の呼吸呑吐にあると言われている。

攻防時の体の浮沈、拳止進退、敏捷性、持久力、瞬発力等を正しい呼吸法により修得することが目的である。

さらに開手系は接近戦を主眼とし、入り身のときの破壊力を強化するために補助器具を使用して全身を強化することも実践し奨励された。

予備運動と補助器具運動で強靭な均衡のとれた身体を目指し、また各人の武才に応じて心身を鍛錬するのが剛柔流の特長である。

第三は健康増進である。

剛柔流は腹式呼吸を重視した修練を行っている。

その基本である「三戦」と「転掌」の形は「気」「息」「体」の修練を目的としている。気力、活力と体力の増強が健康にもたらす効果は絶大なものである。

第四は護身に役立つことである。

いざ自分を護るとき、ふだん修練している運動能力や敏捷性、冷静に対処できる精神面が大いに役立つ。

稽古を通じて養われた精神力が相手につけ入らせないし、そうした事態になっても一蹴できる。

​第五は老若男女がその体力に応じて修練できることである。

個人の体力に適応した稽古により現在よりもさらに向上した体力と気力を目指すことができる。単独で狭い場所でも、いつでも体調や体力に応じた稽古が可能であることは大きな魅力である。

​礼​​

 礼は修行のうえで大事な要素なので簡単に説明する。礼は古来から社会秩序を保つため人間生活の規範として重視されてきた。知人に会えば挨拶を交わしおじぎをするといった日常習慣化したことから、室内でのもの静かな立ち居振る舞いや障子の開け締め、きちんとした正座やおじぎの仕方といった礼儀作法は、日本人の生活の中にしみついてきた。

 礼儀正しいことは人間性と表裏の関係でとらえられてもきた。

 空手道では破壊力のある技を応酬する中で技術の向上をはかるわけであるから、自分の技の上達の手助けをしてくれる同輩や先輩、師範に対する感謝、尊敬の念をもつことが大切であり、それが礼法として現われるわけである。座礼と立礼がその代表的なもので、稽古の始めと終わりには必ず行っている。

 形を整えることは相手に対して敬意を払うと同時に自分の心を引き締め正すことでもある。稽古の時だけでなく、言葉づかいや行動を通じてもそうした礼儀の感覚が表現されなければならない。

 青少年に対する”躾(しつけ)”がなおざりにされているといわれる現代にあっては対人関係を滑らかにするうえでも身につけさせるよう指導が望まれる。

 立礼

 ①姿勢を正し、両手を体側に添って下に伸ばし、踵をつけた結び立ちになる。両爪先の角度は約60度。

 ②上体を前に約十五度傾けて礼をする。間をおいて元の姿勢に戻る。上体が丸く曲がらないように気をつける。

 座礼

 ①同じく立った姿勢から左足を約半歩引く。

​ ②左膝を曲げて床につける。同時に右足は立て膝になり中腰になる。

 ③右足を引いて左足の親指の裏の上に右足の親指を重ねて腰をおろす。両膝の間は約拳二つ。両手を腿の付け根近くにお   

 き、肘を体につける。これが正座である。

 ④左手、右手の順に膝前で内向きにつき、上体を傾けて礼をする。額は床から約25センチ離す。

 ⑤右手、左手と引き、正座の姿勢に戻る。

 ⑥立つときは順序が逆になり、両爪先を立て腰を浮かす。

​ ⑦右足を半歩前に出し、左足を寄せて結び立ちになる。

                             参考:剛柔流空手道 改訂版 全日本空手道連盟剛柔会編

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